自己覚知はスピリチュアルな覚醒において最初の段階です。「個人として幸せに生きる」ためであれば、自己実現までで十分ですが、本当の意味で全体性の意識へと拡大していくためには、このプロセスを経る必要があります。
自己覚知とは、自己の真実の有り様への覚知 – この宇宙の全体の一部として存在している個としての私への覚知です。
かの有名なヨギであるパラマハンサ・ヨガナンダは、自己覚知について、こう語っています。
”自己覚知とは、身体、思考、魂のあらゆる部分が、神の王国に属していることを知ることである。神は至るところに存在し、あなたと共にあるゆえに、あなたのところへ神がやって来るように祈る必要はない。ただ、自分の叡智を高めさえすればよいのだ”
この段階に進むにあたって、最も大事な点が、「自己実現」までとは、使う意識のOSが全く異なる、という点です。
自己覚知のプロセスから、魂意識への目覚めが本格的に始まりますが、この道を進むためには、魂意識に文字通りすべてを「明け渡していく=surrender」必要があります。人によっては、このプロセスを非常に難しく感じる場合があります。
例えるなら、自己実現のフェーズまではあなたは肉体の意識優位(自我意識)で、あなたという乗り物を陸地で運転してきました。今度、あなたはその乗り物でそのまま空を飛んで行くことになります。
しかし、その空であなたという乗り物をどう運転していいのか、あなたの自我意識には全くわかりません。だから、その操縦を、あなたの中の、空の飛び方がわかっている唯一の意識である魂意識に – それも、自我意識にとっては何が何だかわからない存在に – 完全に譲り渡さなければならない、ということです。
ですから、自己実現までの成功体験や概念でどう生きればいいかを判断することが、このプロセスにおいては足枷になる場合もあります。自らのさらに深いところにある内的な葛藤を手放す必要も出てくるかもしれません。
それゆえに、自己覚知に進む人は、これまでの生き方のOSから、魂意識に移行するための生き方のOSに総とっかえをする必要があります。
それゆえに、古代の霊的な伝統においては、そのOSの移行へのコミットメントを、イニシエーションとして儀礼的に行ってきました。
全体性の意識と一体である魂意識に、あらゆるすべてを委ねるということは、そのまま、大いなるものと一体となって生きている状態になる、ということです。魂意識による自動操縦・全自動の生き方に移行した、とも言えます。
自己覚知のプロセスでは、全体性の意識を体験していきますが、この段階では、まだ「個」の意識がある・あるいは、「個」の方に意識の焦点が向いている状態です。
ここからさらに、「覚醒」の状態へと移行していきます。