ストーリー

2021年の2月、ほんとうに久しぶりに、一対一で向き合った方のバイブレーションを声にして歌うということをした。

その時に感じたのは、人は、あらゆる記憶の総体であり、あらゆる全体との関わりの中で、そこに必然として存在しているというありのままの事実だった。そしてそれは、その必然性の中にこそ、私たちという存在の根源的な「意味」があり、それは、命や魂と呼ぶべきものに基づいているという厳然とした事実でもあった。

その後数日間、自分自身の意識が拡大し、ただ自分がありのままに存在しているという場所にしばらくの間、いたのを覚えている。そしてそれは僕自身にとって、今まで生きてきた中でも、最も「生」の確かな実感を感じる豊かな「時間」でもあった。

こういう体験が、他者とのあいだで起こった、ということにも、僕自身、深い意味を感じている。

ヴォイスヒーラーの渡邊満喜子さんとの出会いから18年が経とうとしていた。

“not religious but spiritual”という言い方がある。特定の宗教には属さないけれど、スピリチュアルな感性を持っている、というようなニュアンスだろうか。そういう方が僕の周りにもいるし、今の時代、少しずつ増えているのではないだろうかと思う。

僕自身、昔からそういう”感性”への傾向が強かったのだが、雅楽 笙の演奏家として活動を続けていく中で、どうしても「演奏家」であることと、そういった「内的なリアリティー」との間の齟齬を埋めることができず、苦しい時期を過ごしていたこともある。

「そういった感性」の社会的な受け皿は、今でこそ瞑想や、ヨガ、少し違うかもしれないけれどマインドフルネスなど、少しずつ広がっているとはいえ、もう少し深いところにある「生死」や「存在」の意味そのものを扱える受け皿は、伝統的な宗教か、あるいはいわゆる「スピリチュアル」のジャンルや霊能の世界など、まだまだ社会的なオルタナティブに属しているように思う。

もう少し、それを社会的にオープンな形で、多少のきわどさも含めて受容し、育てていく場をつくることができないだろうか。そのような思いが、この「Awakening voice – 魂のうた」の活動のひとつの動機として存在している。

2022年8月から、様々な出来事を経て、「Awakening voice – 魂のうた」のモニターを開始し、多くの手応えを感じてきた。それは、僕自身の「ヴォイスマザー」とでも呼ぶべきヴォイスヒーラーの渡邊満喜子さんの生きた軌跡に思いを馳せるでもあった。

その中でほんとうにたくさんのギフトがあり、発見があり、成長があり、急速な「変容」の道を歩んできた。今もその最中であり、それこそが、「生きる」というプロセスそのものであるという実感を深くしている。

私たちは、それぞれがそれぞれの世界を創り、独自の世界を生きている。その「違い」の中にこそ、真の豊かさがある。けれど、その世界は、お互いがお互いを映し出し、無限に連なり、新たな創造を瞬間瞬間に生み出している。

それは、人と人との間だけではなく、あらゆる森羅万象を含めたモノモノのあいだで起きていることだ。その不思議さ、神秘さ、そして可能性を、「声」というメディアを通して多くの方と体感していきたい。そんな思いで、また新たに多くの方と出会いたいと思っている。

そのほかの文章はnoteにまとまっています https://note.com/ohtsukajumpei

Awakening Voice – 魂のうた

声を通して他者に触れる時 人は あらゆる記憶によって紡がれた総体であると感じると同時に 変わらぬ「本質」を共有していると感じた

それはこの世界はひと連なりに存在しているという感覚をもたらし 「わたし」という個から解放されると同時に 「わたし」という個を受け入れる体験をもたらした

響きというのは 一瞬にして宇宙の全体性にアクセスすること 一瞬の響きの中に 宇宙全体との関係性が存在する それも一瞬一瞬変容するダイナミズムを伴いながら それが「縁起」というものだ 因果律の中の原因があり 結果がある世界ではなく 全てが同時に存在する だからこそ すべてがつながり合っている それが本質的な宇宙のありようであり その認識に私たちが目覚める必要がある

私たちはすでにそのように存在している そのことに気づいてほしい 何者かになる・何かをしなければならない そのような必要はない あなたのその思考すらも繋がりの中で起こっているということに気づいてほしい 必要なのはただそれに気づくことだけだと

なぜなら ひとりひとりの魂のかたちには無限の色合いがあり 私たちは本質的に自由であるのだから